マンボの歴史   マンボの歴史は、古く「アンボ」にまで遡る事ができる、 発生当初は、このリズムに馴染めない住民から激しい反対運動が起こった。 これが「アンボ反対運動」である。   次に「インボ」へと進んだのであるが、 思い出したくもない過去として闇に葬り去られてよーである。   「ウンボ」 もちろん雲母を読み違えたに決まっている、 おそらく楽器に貼ったのであろー。   「エンボ」 この頃になると友人も増えたよーである、 友あり、エンボ−より来る。   「オンボ」 だいぶ甘やかされたよーである、 おんぼ日傘で育った私にはよくわかる。   新時代「カンボ」 ミュージシャンにとって、やはり保険は大切である。   「キンボ」 日本へ伝わったのはこの頃だ、 金坊であるのは、言うまでもない。   「クンボ」 戦争がはじまった、当時最大の 空母(くんぼ)エンタープライズの事である。   「ケンボ」 この頃の事は、わからない、 どーもケンボ−症のよーである。   「コンボ」 ずばりジャズへの接近である、 小編成バンドの事である。   さらに新時代「サンボ」 格闘技にもかなりの影響を与えたよーである。   「シンボ」 苦難の時代 人間シンボーが大切である。   はっ!イカン! このまま進むと、た行あたりで エライ事になる!   まことに残念であるが、ここいらで「マンボ探究」は、打ち切りさせて頂く。 この後、「マンボ」は「センボーの的」だったり、 「ソンボーの危機」に陥ったりするのだが、 それは、また別の機会に。  
ワルツの起源  
ワルツが「アルツ」から始まったのは 前章の結果からも類推できる。 おそらく老人が作ったのであろー、 少しテーマがボケていたよーだ。     「イルツ」 やはり初期の頃は、お金に困ったよーだ、 「居留ツ」を使ったりした。     「ウルツ」 なんでもエエから 「売るっ」物は無いのか?   「エルツ」 何か「得るっ」ものは?     「オルツ」 ちょっと、回復、 誰かいるのかー?「おるっ」   「カルツ」 狂信的集団が生まれた、 「カルト」の複数形である。     「キルツ」 気に入らんヤツは、「切るっ!」     「ケルツ」 それでも言う事聴かんヤツは 「蹴るっ!」     「コルツ」 作曲に没頭、 「凝るっ!」     ああ、当然すぎて面白くも無い、 ワルツについては、このへんにしておく。   なにぃ?もっとやれ、だとお?   やかましいやいっ! シロートが口出すんじゃねえよお!    
  ブルースの誕生    アレキサンダー大王がエジプトへ遠征したのはトトメス第3王朝末期、 アメンホテップ三世の息子ラムゼイルイス神官の統治時代である。   預言者ホメロスの先代ホメコロスの叙事詩には、 (彼はオトワに住んでいたのでオトワのご隠居と呼ばれていた)   「偉大なる王馬に乗りて矢を放つ、ホルスの目射落とさるべし。」 と書かれている。   さて、その時アレキサンダー大王は 実に変わったベルトをしていたそーである。   伝えられる所によると、 大王の下着、いまで言うパンツは「ゆるゆる」だったらしー、 4歩歩けばたるみ、8歩歩けばすべり、 12歩歩けば完全に脱げてしまったそーだ。   この出来の悪いパンツの呼び名を なんと呼んでいいか分からなかった彼等は、ブリーフとズロースの間をとって 「ブル−ス」と呼んだそうである。   12歩あるいは12小節ごとにくり返す行為の事も、また必然的に 「ブルース」と呼ばれるようになったのも充分うなずける話である。   で、ずり落ちるブルースに業を煮やした大王は、 奴隷に命じて絶対にずり落ちない全く新しいベルトを作らせた。 それは、ラクダの胃袋から出来ていて 絶対落ちない=落第しない、落第無のベルトと呼ばれるよ−になった。   これが、先ほど申し上げた、変わったベルト アレキサンダー「落第無バンド」である。  
時空を超えたベルト   さて、この不思議なベルトは時代を超えて現代へも受け継がれたようである、 それは数千キロもの海を渡り、ある大陸へ渡ったものと推定される。   そこは暑く、昼間の活動には全く適さない場所だった、 人々は夜になると動きだし、唄い、踊り、それぞれの人生を謳歌するのだ。   昼間は「ぶらぶら」し、夜になると音楽を楽しむ、 食事は踊りながら、あるいは演奏しながらでも摂取できるよう、 スープのよーな流動食が考案された。 それは簡単ではあるが高カロリーで、栄養価に溢れていた。   「ぶらぶら」している人々が飲む、このスープは いつしか「ぶら汁」と呼ばれるよ−になった。 ご承知のよーに「ぶらじる」は、その後国名なってしまったのだった。   さてさて、どんな国でも外国文化に影響される事があるものだ、 この国も例外ではなかった。   我が国の「邦楽」が「洋楽」に席巻されてしまったよーに、 この国でもアメリカ音楽などが人々の間に浸透していった。   だが、この事態を憂慮する人々がいた、 これではいかん、なんとか我々の伝統を守らねば、 このままでは我が国の伝統音楽が破壊されてしまうのではないか、   そう考えた彼等は、新しい運動・ムーブメントを起こした、 「今日とは言わない、せめて明日から伝統に戻ろう!」   だが、当時、文字の読めない人や貧困な家庭の多かったこの国では 他の国に見られるチラシや看板などの、国民に解り易く伝える手段が見つからなかった。   そこで思い出されたのが「スープ」である、 もう一度建国精神に立ち戻りる事が出来、しかも無学な人にも簡単に伝わるメッセージ、 彼等は、新しい「スープ」の開発に着手した。   苦難の末、スープは完成した、 彼等は自分達のメッセージが全国民に届くよ−、思いを込めて このスープに命名した。   「明日こそ伝統に戻ろう!スープ」 長いな、では 「あすこそはTRADITIONALに、スープ」 お、いいけど、まだちょっと、 「あすこそトラッド、汁」 おお、いいね、もうちょい! 「あすトラッド汁!」   やったー!できたぞおお! 彼等の喜びは天にまで届いたと言う。   彼等は、ついでに装身具も製作した、ブルースの起源に因んだベルトである。 当然、名前を「あすトラッド汁」ベルト、という。   後になって、アメリカの音楽家が、これを発見し自国へ持ち帰るのだが、 さすがに発見した時は 「ゲッツ!」 と驚いたそーである。   また、このスープは本来「ジョ瓶」というビンに入れて持ち運ぶのであるが、 ある勘違いした日本人(佐田さん、というそーだ)が 鍋を持って来てしまい、しかたなしにナベで運んだそーである。   したがって、我が国では、この音楽を日本へ伝えた人の名が、 「ナベサダ」と呼ばれているのだ。    
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